世界は称賛に値する

日記を書きます

観念的と抽象的(混乱中)

▼▼観念的って言葉を置いたほうが適切な場面で抽象的って言葉を置いてしまってることがある気がする、と思った。観念的、に馴染みがないのだよなー。即座に思い付けない。
▼▼観念的と抽象的の違いは何だろう? と整理しながら文章を一回書いてみたけど、経験則的に理解してるところを書いてから調べ直してみたら、思った以上に勘違いが多いように見えたので、書き直し。▼▼けどまあこういう言葉って、複数の意味合いを持ってそうであり、対比する側面を間違っちゃってた、ってこともありそうだとは思う。
▼▼観念的の対義語は、実際的。──あるいは現実的。
▼▼抽象的の対義語は、具体的。
▼▼と調査できた。ってところから整理し直してみてもよいかなー。
▼▼対義語側を眺めてて「実際」と「具体」の違いは理解できている気がした。まあおそらく「観念」と「抽象」よりは区別できているかと思う。よく使うし。
▼▼実際と具体。確かに似ている二つの言葉であり──指向としては同じような手触りに向かっている言葉達でもあり、けど、使う時に背景としている空間──物差し、が違っている、というような理解を持っているかな……。位相が違う、って言える。
▼▼という背景の違いを言語化して、観念と抽象、に当てはめられればよいのだけど。

(間)

▼▼若干飛躍するけど、抽象化に関しては、物事を抽象化する→ことにより→観念の領域の話になる、観念の領域に放り込むこと、って思っている。なので、抽象化したら観念的になるものだ、と思っていたりもする。抽象的、と言えるなら、ぜんぶ、観念的、って説明可能かな。しかし観念的と言えるならぜんぶ抽象的か、と言われると、違和が出る。

(間)

▼▼観念的と実際的を両極とする物差しによって観測を行なうにせよ、抽象的と具体的を両端とする物差しで測定を行なうにせよ、まあやっぱり、いずれにしても、明瞭かつ簡単に線引きできるようなものではなく、あくまで段階的なものであって──非数値的なグラデーションの濃さでしか語れないようなものですらあって、だから、まあ、対象となる物によって、観念度がより濃いとか、より抽象的なものとか、が、ありうるのでは? とは思った。観念側のものとか具体側に属するとか一言では言えないのでは? と思った。
▼▼でもって、前述した「観念/実際」軸のグラデーション物差しと「抽象/具体」軸のグラデーション物差しが、似ているにせよ、完全同期しているわけではないから──影響は与え合うにしても同一の性質ではないから、対象の物事によって、わりと観念的でありながら結構具体的に寄っているもの、とか、かなり実際的側に近いものでありつつ意外と抽象的なもの、なんて言えるような、ズレ、が発生しうるのではないかな、なんてふうに思いついた。
▼▼ぼくは赤いものが好きだ、という人間がいたとして、赤さと好きさが連動はしてるから、赤ければ赤いほど好きさが増す、ってことはまああるにせよ、赤さプラス一によって好きさプラス一に間違いなくなるとは限らない、彼の中で赤さと好きさが同一でないことはありうる、というような連想が浮かんだ。▼▼あるいは、赤さが確実にプラス一される行動、があったとして、当人はその「行動」も好きになるのかな? みたいな。好きにはなるかもしれないけど、一対一対応では──同一では、やっぱりないよね? 的な。