世界は称賛に値する

日記を書きます

今は準備である(ではない)と、ともあれ準備(とも解釈可能な行為自体)が楽しい

▼▼頭の中の戸棚を整理している、というような雰囲気がじぶんの日記にあるかなあ、と思った。準備のような整理整頓だ。いつかの本番に備えている、と言えそうかな。
▼▼種類分けされた脳内の戸棚の中から、場に合うもの、閃いたもの、を、うまいこと取りだしてみせながら、楽しい箱庭のようなものを、作り出していく――配置していく。というようなイメージが、いつかの本番――本番の時に書く文章、っていうものに対してはあるかなー。その時に備えて、刀を研ぐように、戸棚を整理している、とは言える? いや、うーん、そういうイメージとの対比として、戸棚、っていう比喩が出てきてる? のかな?
▼▼というような、文章の「本番」「本物」「いつか来たる、ほんとうに頑張る日」みたいなイメージって、あんまりよくないよ……、という声がめっちゃ頭の中に響いているわけだけど、でも、まあ、逆に、そういう「戸棚の整理」こそを、心底「人生の楽しみ」として祭り上げられるような精神や世界観も、よいのでは? 好きなのでは? 素敵なんじゃないの? って、思ってみたりした。
▼▼いつか来たる本番、と、そのための準備である今(なので今は本番ではない)(本番ではないから手を抜いていてもよい)(本気で立ち向かわなくてよい)、というふうに人生を切り分けてみせるのは、たぶん、よくない。よくないことが多いだろう。なので、極力使わないほうがよい、か、あるいは、使うなら使うで注意事項やケースバイケースに気をつけましょう、というところだと思うのだけど、でも、それはそれとして、戸棚整理は別に楽しんでやってたっていいじゃんか、と思うのだった。準備期間だっていう欺瞞的手抜きと逃げ腰は駄目駄目っぽいけど、準備自体は別に悪くないことで、やりたいならやればよい。▼▼それは別に準備ではない、という解釈もアリだろう。(たとえ「準備」のように見えても、見られても)(躰の動きが「準備」とほぼ同じ挙動であっても)