世界は称賛に値する

日記を書きます

頑張るの気軽に考えていて駄目だった気もするけど、気軽に考えられていたからこそだった気もする

▼▼頑張り続けられると思っていたけど、頑張り続ける精神を継続させていくのってかなり厳しいのだなあ、とは思うようになってきた。頑張り続けられる人に対する尊敬、というよりは、衝撃、が最近はある。頑張り続けたくないと思わせることと、頑張り続けないほうがむしろよいと思わせることと、頑張り続けなくてもよいよと思わせることと、頑張り続けなくてもだいじょうぶみたいだと思わせることが、ちょこちょこと積み重なっていく印象である。でも頑張り続けたほうがよいじゃん、と攻撃してみせる人格の維持が難しいという感覚かな。元気で健康、好都合、なシチュエーションじゃないと出せないことも増えた。
▼▼信仰心がが役立つであろうことが想像しやすくもなってきた。信仰心を保持するための宗教団体の意味も判りやすくはなってきた。自己生成が可能だろう、って想像していたのだけど、よっぽどうまくやらないと駄目そう? なのかな? うーん? というようなことを思えるようにもなってきた。うまいやりかたを知らないだけかもしれない、という可能性も気にかけている。▼▼格好つけ、見栄、おのれの人生や個人を際立たせるストーリー、といった物事についての頼り甲斐についても考えている。
▼▼というあたりのこと、けっこう、最近の、主題、という印象だ。ふわふわさらっと書いてみたけれど。思考の端々ににじんできている。いろいろボトルネックになっている。いつの間にか変質している(気がついたら変色してる~)というところが怖ろしいところとも思う。