世界は称賛に値する

日記を書きます

概念使用アドヴァイス

▼▼ある概念の扱いに慣れている人と慣れていない人がいる。性格や思考傾向との適合率が高い、とか、棲息する文化圏での使用率が高いおかげ、とか、まあ、生来や環境による運や偶然も絡めつつ、慣れ不慣れ、向き不向き、が出来ていたりするだろう。
▼▼概念の「掌握できてなさ」によって頭の中が混乱していて、困っている、という状況が時々あって、そういう時に、当該概念をうまく扱える人に対し、あっさりと尋ねることのできる環境、というのがあればよいのになー、と思っているところがある。インターネットやブログやツイッターが一助にならんかなー、と思っているところもある。


▼▼正しさ、というものに思考が振り回されているような時(ぼくは、じぶんが思う「正しさ」というものに――正しさをどうしても希求したがってしまう心に、よって、今、非常に暗澹たる気持ちになっている……、怒りや哀しみを覚えてしまっている……、だがしかし、この「正しさ」ってなんなのさ!? じぶんはこれを真剣に求めていながら、しかしそれが何なのかぜんぜん判っていないぞ……!)っていうのがたまにあって、そういう時に、人様の「正しさというのはつまるところこういうものだ」というような話を聞いて、お、あ、そうか、なるほど、それって改めて冷静に考えてみれば確かにそういうものだよな……、とすると、ぼくが求めていたものはこれだったわけだけど――それを示すところの言葉はこれだったのだけれど、ちょっとズレてたというか、勘違いがあったというか、欲しがっているものを自覚できていなかったというか、求めすぎ、みたいなところもあったのだな……、ぼくがいま求めるべきもの、あるいは、考えるべきもの、時に諦めるべきもの、を挙げるとするなら、実際はこのへんになるのか……、ってことが、判ってきたりする。補助線になってくれて見通し明らかになったりする。という経験が実際に何度かあるので、これいいなー、って思ってしまっているのだ。
▼▼というような、ぼくはこの概念に苦戦するんですよいつも……、おれはその概念こういうふうに使ってるんですけどどうすかね? 参考意見的にどうすか? みたいな話が簡単にできると、よいな、と思っている。インターネットに、人間関係に、そして、人様としてみたい会話の一つとして、欲しているし、好きなのだった。