世界は称賛に値する

日記を書きます

フレーバーが思考のタイプを変えるか

▼▼戦士になってドラゴンを倒す。駅と駅に鉄道を繋げる。じぶんの島を作る。ヴァンパイアハンターになってヴァンパイアを見つけ出す。刑事になって犯人を捕まえる。語り部になって言葉を語る。ピザを作る。金塊を探す。夏の思い出を集める。動物園を作る。牧場を経営する。じぶんの星系を作る。幽霊から逃げる。フェンシングで戦う。ごきぶりを押しつける。
▼▼ボードゲームのフレーバーは様々である。ボードゲームを構成する三要素として、メカニクス、アート、テーマ、という「挙げかた」の話を見かけたのだけれど、テーマ、そして、フレーバー、という言葉の区分が不明瞭ではある。モチーフ、っていう言いかたもあるのだよなー。ストーリー、っていうのも似たところを示す気がする。▼▼メカニクスの近似品として、ルール、ギミック、という言葉もあって、アート、の近似だとコンポーネントという言葉がある、かな。デザイン、という言葉の位置づけも難しいところだ。


▼▼フレーバーやテーマというのはあくまで楽しさを増幅する要素であって、別のものにしたとしてもあんまり変わらない? のではないか? っていう問いがあるのだけど、この問いに関して、例えば、映画監督になって映画を撮るよ(というイメージのもとで進行してゆくゲームだよー)、という説明を聞いたら、まるでじぶんが映画監督であるかのように、もしもじぶんが映画監督であったなら、という「頭の使いかた」のするんじゃないか? ここで「思考モード」「思考タイプ」みたいなものが切り替わるケースがありうるんじゃないか? っていうことを思ったのだった。
▼▼まったく同じメカニクスに接しているのだとしても、映画監督モードと牧場経営モードと魔王討伐モードで接するのでは、判断が――判断プロセスおよび判断結果が、変わるんじゃないかな、って思ったのである。


▼▼「カンガルー」→「冷たい料理の熱い戦い」→「ウミガメの島」(途中で「モスクワでの権力争い」という、わずかなルール違い作品も混じったようだけど)、と、メカニクスおよびルール、はまったく同じでありながら、見た目だけ――フレーバーやテーマだけが、ちょこちょこ変わってきた、という、適切であろう具体例があって、このゲームのことはまあまあ念頭に置いている。

ウミガメの島(Mahe)/メビウスゲームズ・franjos/Alex Randolph

ウミガメの島(Mahe)/メビウスゲームズ・franjos/Alex Randolph

▼▼カンガルーとウミガメで頭の使いかたが変わるかわからん……、という気はしてる。
▼▼「××になって○○をする」の「××になって」というところ(ロールプレイ的なものを誘発しうるような誘い文句)が、思考プロセスに影響を与えやすいんじゃない? ということも思った。ロールプレイ的フレーバーと、ゲーム全体が模しているフレーバーは別、というような。
▼▼判断プロセスの変化じゃなくて、単純に「面白いと感じるかどうか」が変わる、という切り口もあって、ここは、別の話、として認識しておいたほうがよさそうだ、という気が今のところしている。融合させて話せるほど整理できていないだけだけど。