世界は称賛に値する

日記を書きます

2026年05月30日(土)それこそぜんぶが遊びでもよいはず

遊びと思わなくし始めた

むかしはもっとなんでもかんでも「遊び」の範疇に押しこめていたはずなんだけど、さいきん、なんとなく遊びにくくなってきている感じ、あるいは、みずから遊びにくくしてしまった感じはあるなと思う。

「遊び」と「ふまじめ」の境界線はたしかにちょっとあいまいになることがあり、かつ、仕事の進行や成果に不備なんかが見られることも増えてきているところがあるから、ふまじめなんて許されん、みたいなテンションは、どうしても意識するようになってきてしまっていて、その結果、「遊び」という認知自体を排除しはじめたところは、おそらくある。「遊び」と思わなければ、つまり、まじめでしょ、と、主張してみせたくなるような、表面的な正当化論理に、頼りはじめたんだとは思う。

また余裕を作る

しかし、もうちょい余裕や余白を作れれば、人生全体を、また、「遊び」で彩ることはできそうなので、そのへんの環境整備を、あらためて進めていきたいな、とは強く感じるしだいだ。さすがに今の「まじめ」装いのルートを使って進み続けていくのは避けたいか。