世界は称賛に値する

日記を書きます

2026年05月28日(木)ときには言葉を漂白しない

漂白したことばを吐き出していればよいわけではない

油断していると偏見と差別を漂白しきれていない言い回しばかり用いてしまいそうなところはなくもなく、だから、ふだんは、できるだけ文章のそういう部分を校正しながら書いているのだけど、だからって、注意も精査もせず勝手気ままに書いちゃダメ、ってことでもないはずだよな~、と思いなおした。たしかに、なにも気にしなければ、ツッコミどころ満載にはなるだろう。隙だらけ、矛盾だらけの、厄介な文章になると思う。つまらなくなるかも、嫌われるかも、とも思う。でも、それが、「ぼくにとっての間違い」になるわけないじゃん、とは思うのだった。むしろ、取り繕ったものを出力させたからって、それで満足しているほうがあやういでしょ、って感じだ。

けど、この考え方も、これはこれで、ことば側に寄りかかりすぎなんじゃないの、って気もしなくはない。ぼくの気持ちや思惑が、ことば側の持つ引力や吸引力に引きずられて、成立していく、というような動的な考え方だってあって、もし、そういうふうに捉えてみるならば、サラサラと出てきただけのことばを、無頓着にありがたがって、「正解」みたいにあつかうのは、あやうい。とにかく注意して精査して校正した「ことば」を吐き出していくよう、日々、気をつけることが、ぼくの気持ちや思惑を、着実によいほうに持っていくのだ、って可能性も、とうぜんある。