世界は称賛に値する

日記を書きます

2026年04月29日(水)文章を書くなら一定時間停滞したうえで突破したい

一定は迷い続けたい

鈍足と盲目と停滞の呪いによって少しも前に進めなくなり、まるで迷いの森かのようなまどわしで前に進んでいるかすらあやぶまれる状態で、ダラダラと続けていかざるを得ないような"くどい"思索が、たぶん、好きといえばかなり好きなんだと思う。そして、そういったぐるぐるした暗闇の中に閉じこめられたなか、急に、意味のわからん光明がさしこみ、脈絡のない道筋が見えてきて、勇気を出して最初の一歩を踏みだすってわけでもなく、むしろ気づけばいつの間にか向こう岸に立たされてしまっている——新しい大地に立っていることに事後的に気づかされる、といった事態もまた、好きは好きなのあった。そういう事態がおとずれることを、無意識に望んでいるところが、おそらくけっこうある。突破につながる滞りが好きだと言える。まあ突破できることが前提にはなっちゃうけど、そこはしょうがない。

偶然込みなのでアウトラインは描けない

文章を書いていくという行為に対し、そういった意味不明な混乱と足踏み、そして不意に来る謎突破を望んでいるところは、かなりあって、結果として、「アウトラインや構成をしっかり整え、事前準備を完璧にしたうえで、書き始める」ってことが、うまくできないままでいる。まるでできないとまでは言わずとも、ぜんぜん楽しめない。「どこに進むかわからない」はどうしたって入れこみたい。しかし「事前準備」との相性が悪すぎる。

まあでも、そんなことばっかりも言ってられないか、とは思わなくもない。ほんとうに読ませたい文章であるなら、読者にしっかり寄り添いたいテンションのときなら、そのあたりは、無視して通れる一角だ、っていう感覚もなくはなく、だからたぶん、目的意識とそれによるモードの違いによる調整が、一定、利く場所ではあるんだろう。どうにもならない精神の話ではない。でもまあ好きは好きなので、軽視も放り投げもしたくはない。