世界は称賛に値する

日記を書きます

2026年04月19日(日)法をまつりあげる

犯罪との距離感

「そんなの違法だ!」「それは犯罪だ!」と、さも鬼の首でも取ったかのように、オマエの行為は間違いだと、そして、いまそれを指摘している自分の判断と基準と手法は正しいものなのだと、言ってのける振る舞いを見たときに、正直、意味わからん、とは思う。

ぼくとしては、人間が作り上げたであろうもろもろを(ここでは"法"や"ルール"を)そこまで強固に信じられん、って感じだ。意味ないとかどうでもいいとか正しくないとか言いたいわけじゃ決してないけれど、しかし、絶対視や神聖視は、ぜんぜんできない。おのれの正当性の根拠にはならない。躊躇も遠慮もなく相手を責め立てるための下支えにもできない。

「犯罪」だから即アウト、「犯罪者」だから即サヨナラ、みたいな、検証なしの自動処理には、ちょっと乗っかれない。結果として、犯罪とか犯罪者とかとの距離感がよくわからん感じになっているところはたぶんある。あつかいがちょっと苦手だ。アウトにはしないため大歓迎ですってんじゃ意味わからないし、だからって、生理的に受け付けないよと脊髄反射でダメ判定するのも同じくらい意味わからない。

絶対じゃない。無謬じゃない。完璧じゃない。ケースバイケースもコンテキストもグラデーションもかかわってはくるんだろう。とはいえ、だからこそ、ちゃんと法やルールを守りましょう、そうすることで、どれだけ人が幸せになりうるか、世がうまく回るようになりうるか、しっかり考えていきましょう、っていうふうには、していきたい気はするのだった。そういうふうに事態を捉えられるようにはしておきたい。盲信と狂信の神様あつかいするんじゃなければ、祭り上げるのに異論はない。