いくつあるかわからない
気づきたかったことに気づけて喜んだ事実を日記に書いていっているとは思う。そこにある齟齬に、自分がまったく気づくことなく漫然と過ごしていたとしたら、きっと後悔しただろう。気づけなかったらイヤだっただろう。そう思えるような事柄に、ちょくちょく気づけているし、その記録のための日記という側面がある。「気づけてよかったな」と、日々、実際、思えてはいる。ここはありがたい。
ありがたくない点を挙げるなら、連日それが続いているところで、つまり、「気づくべきこと」と「気づけたこと」を比べたときに、ぜんぜん間に合ってはいない。そもそも多すぎる。そして、一度の気づきがせますぎる。天球の星を一日一個ずつ発見しているくらいのキリのなさ。あと、一度せっかく発見したものも結局すぐに忘れちゃってるところもあるんだと思う。同じところをぐるぐる回っているだけなのかもしれない。再発見も再生産もずっとしてそう。わずかな足掻きに過ぎなそう。だから、発見も、記録も、ほんとうに役立てられているかはわからない。とはいえ、やらんよりはよい。ゼロよりはよい。悪くはない。