一億総日記時代
一億総活躍時代とか一億総メディア時代とか、そういう「一億総○○時代(社会)」という言い回しがそういえばあった。最近は聞かなくなった気もする。一億が時代遅れになってきている可能性はある。
昨今の日記ブームのあおりをうけて、「一億総日記時代」って言い回しも思いついた。まあ、そこまで日記や言葉と人類全体に親和性があるとも思わないが、たとえば、ほんとうに「一億総日記時代」がおとずれて、だれもが自然と日記を書くようになったとして、そんな未来を想像してみたら、そんなの読み切れるわけないじゃん、って思ってしまった。昨今の日記本ブームのあおりをうけて、そんなには売れないよと思ってしまった。
けど、別に読み切られなきゃいけないわけじゃないだろ、って思い直した。誰にも読まれなくたって日記は存在してよいはず(存在理由があるはず)だし、それとはまた別に、読みきれないことばが無数に書かれている社会だって、別に悪ではない。需要を超えたことばは存在しちゃいけないなんてルールはない。
ほかのひとに読まれるでもなく、本人が読み返すかどうかさえ場合によるような、どんどんと書き捨てられていく毎日の言葉が世界にあふれたら、おもしろそう、とは思う。