ふだんづかいの印象論
検証を重ねた(自分なりに)丁寧な理解ばかりを使って過ごすのは無理がありそう。さすがに負荷が大きい。結果として、ふだんは、表層的な印象論をたくさん使いながら生活する羽目にはなる。そういう負荷の低いものが、一般論や常識、つまり、"齟齬がなさそうなもの"として、流通していくことにもなるんだろう。逆にいうと、まじめに整えられた認知は、「ヘン」に接近しやすい。そんなのふつうじゃないよというツッコミにさらされやすい。
誰かがまじめに語った真剣な世界観が、かんたんに茶化されてしまう光景を、けっこうよく見る。そしてけっこう好きじゃない。そういうのってつまりこういう構造によるものなのかな、と、整理的に考えていた。あんまりしないで済むよう、問題点を整理しておきたかった。
まじめな世界観は「ヘン」なものだと判定されやすい。偏見をとりさって素直に見つめれば大勢が見つけられるような入念な理解でさえ、ふだんはなきものにされていたりする。そんな文脈のうえで自然に過ごしているひとの前に、自分なりの検証を重ねた固くて分厚い理屈を提出したら、そりゃ嗤われるだろう。そういう色眼鏡が来るのは止められないなとはまず思った。