世界は称賛に値する

日記を書きます

2026年03月19日(木)題名は最後につけている

日記の題名

題名を先に書いてそこから日記を考えたことが一度もない、と(別に気づかなくてもよさそうなことに)気づいたが、そもそも日記に題名があるのが変則だ。題名から遡及的に書かれる日記というのも、じゃっかん意味がわからない。まあ、題名で「どこに注力するか」「どこにフォーカスするか」が決まり、そこが基点となって、一日が振り返られるような形状も、考えられなくはないから、不可能や矛盾の話ではないとは思う。そんなやりかたで一回遊んでみても楽しそう。これまで一度くらいは思いついていてもよかった着眼点なのになとは思った。なんで思いつけなかったのか。思いつかなかった理由なんてたどりつけたことないけども。

ほとんど同じ言葉(ではないかも)

発想や着眼を記録しておきたく日記を書いている、と、たとえば書いてみたとき、ここで並べた「発想」「着眼」というふたつの言葉を、似たようなもの、というか、同じ現象のうち、ただ見ている側面が違う、フォーカスしているポイントが違うだけ、みたいに扱ってしまっていることが多く、つまり、手なりで「どうせおんなじことの言い換えでしょ」と投げやりにあつかっているところさえある。

けど、こういう、ほとんど同じ意味じゃん、ただのことばの違いでしょ、って思いこんでいるところこそ、改善の余地がありそうだな、と最近は思うところがあった。たぶんけっこうな弱点だし欠点。視界の粒度を粗くしている元凶みたいな可能性が低くない。話を「聞くに堪えない」ものにしてそう。大転換に向けたささやかな一歩目がそこで踏み出せそうかなと期待したい感じだ。