ぼくの信じるものを追う
たとえ誰にも評価されず、ともすれば「つまらん」「くだらん」「ろくでもない」と評されかねない雰囲気が強くただよっていたとしても、そんなもん一顧だにせず、ぼく自身が信じるおこないを、ただただブレずにやり続ける、みたいなルートは、一定ある。
かならずしもそれが正しいやり方だってわけではもちろんない。けど、たしかにそういうルートはいつだってあるはずで、ときには、その手のやりかたこそが功を奏す場面だってあるはずである。それに、奏功や成功までいかずとも、その振る舞いは、やっぱり一定格好よい。憧れる。見惚れたことだってある。にもかかわらず、最近なんとなく、そういうスタイルがあることを忘れていたので、思い出しながら書いた。
譲り渡さない
読み手や受け手のほうに最近は重心を寄せすぎていた気もしたため、評価軸をあらためて調整すべく、今度は、自分がかかえる真善美などの信念を当たり前かのように優先するスタイルのことを意識したしだいだ。媚びだか気遣いだか、実用上のただの工夫なんだか、自分でもわからなくなってきていた。
配慮や親切はきっととても大事なんだろう。けれど、そのために譲り渡してはならないラインというのがあるのだ。みたいな構造のもとで、ものごとを進めていくのが最善っぽいとは思っている。でも、譲り渡してはいけないものって実際なんなのか、まで踏みこむと、めっちゃ難しい。正直わけわからない。