ぜんぜんわかってない
現実ってよくわからない。皆々がわかっているかのような顔して語るし、自分だってわかった気になっていることが多いし、もちろん、いくらかはわかってきたこともなくはないのだけど、「いやでもほんとうにわかっているのか?」と問われたら、きっと答えには窮す。いさぎよく攻め込まれたらすぐに瓦解させられる程度の防衛線だと思う。
上限や下限がまずわからない。一般水準や平均値・中央値もわからない。安定ラインも、警戒レベルも、損益分岐点も不明瞭だ。
見積もる術がほんとうはほとんどないはずだよなあと思う。自分の経験ばかり使って見積もりを立ててみたとしても、当てになるかはあやしい。だからといって、これまで人類が積み重ねてきたたくさんの理屈や、当てになりそうな身近なひとたちのいい感じの見解に頼りきって――死ぬほど寄りかかって、生きる算段を立てていくのも、どうかなとは思う。後者のほうが当てになると思える理由もないはずじゃんとは思う。
にもかかわらず、聞きかじりや人真似でなんとかしようとしていることが多い。多いと思う。マジでなんでそんなことすんのよ、とは思った。きっとよくない。少なくとも無自覚・無意識はよくない。
とはいえ、学問とか、金言とか、そういう、人類みんなで世界や人生に対する経験からの知見を持ち寄って、支え合って、なんとかしようとしているものが、まったくの役立たずってこともないはずだから、いちいちケチつけるのも意味わからんのでは?とも思った。