世界は称賛に値する

日記を書きます

2026年02月01日(日)生成AI創作

生成AI

創作活動や作品に、生成AIの存在が食いこんでこない未来は、もうなさそう。ただ、そうして、生成AIが供給してくれるものによって、人類がすなおに満足できるようになっていったときに、どういうバランスに落ち着くのかは、やっぱり想像が難しいなあとも思う。

いまで言う「手作りと大量生産は別物だよね」みたいな形に収束していくのかなとは、いったん考える。使う側目線でも、作る側目線でも、そういう線が引かれていきそう。テーラーメイドの特注品。手作りする趣味と満足。でもってそこに、「個別具体的なオーダーに対して、都度、生成AIによって、あたらしい作品が提供されうる」状況まで混ぜ始めたら、結果としてどういう形に落ち着くのかは、だいぶ謎だ。それに加えて、生成AIへの指示の出し方の巧拙が、クリエイターとしての優劣みたいな話にもなってくるはずだから、クリエイティブ全体の変節は、かなりよくわからない。最終的にどのあたりに重心をおいてバランスが取られるんだろうなって感じだ。

現状のAI創作

o3、Gemini 2.5 Pro、Claude 3.7 Sonnetの文章執筆性能の比較|IT navi note.com

Claude Opus 4.6で高品質なSF小説を作成する方法|IT navi note.com

現状の生成AIでも、ふつうにすごい「創作」の姿が垣間見えてきている。レールの引き方しだいで、かなりのものを出力させられる印象だ。生成AIの進化はまだまだ序章みたいなイメージだから、ここからさらに発展していくと考えたときに、人類が「受け容れない」未来はこないだろう、とはさすがに思わされる。ネイティブが世代が生まれ始めたらなおさら。

もう「作る」ではないくらい違う文脈

シンプルに個人の気持ちだけで考えると、ぼくが文字を書くことも、ひとびとが文字で書いてくれたものを読むことも、大好きだから、生成AIに代替されることで、書く人が減っていったり、書く意味が失われていったりするのは、じゃっかんイヤなのだけど、人間側の旧態依然とした「ぼくら自身が手ずからやりたいじゃないですか~」という好みを残さねばならない義務感と老害感のために、「手作りってステキだ」とかわざわざ言って、持ち上げ続けていくのも、なんとなくイヤな気はする。

そんなふうに、現代の幻想と残滓のために「手作り」を特別視していくくらいなら、生成AIが作り上げてくれるものとは、まったく異なる文脈による、「結果として手作りによってなされる」事物が、新たな姿で出来上がっていってほしいなあ、って思う。似てるけどぜんぜん違うなにかが、なんだかよいところに、新しく位置づけられてほしい。読み手とか物語に依拠するものにはならなくなっちゃうかもしれないが。