他己認知に身をゆだねすぎない
自覚は基本あやしい。むしろたいして当てにならない。見通せていないおのれの長所・短所なんてきっといくらでもあるんだろう。自己愛が強すぎるがゆえにレンズが歪んで盲点になっているケースだってとうぜんある。自己欺瞞の可能性は無限大だ。逆にというか、だからこそというか、人様の判断を当てにしたほうが、妥当なことだって、たぶん、少なくはない。「あなたはここが得意だと思ってそうだけど、実際はそうでもない」「あなたは自分のここが悪いところだって思っていそうだけど、むしろそこは素敵なところでしょ」と、人様に言ってもらうことによって、自分に対する、的確で、新しい、価値のある知見が得られることも、たしかに多い。
だから、自己認知に全面的に寄りかかって生きていくのは、危険だ。人様の見解にしたがうくらいのノリで生きたほうが妥当なのかもしれない。ただ、だからといって、他人からの認知になにもかも服従させて生きていくのも違うじゃん、とは思った。
間違っていても自己認知を大事にする
ぼくからは見えづらいおのれ自身の側面があって、人様からなら見通しやすい自分の側面もあって、だからその結果、客観性的なものを優先していきましょうよ、といったテンションで、人の見解に寄りかかって、服従し、生きていくやり方も、たぶん、なしではない。そのほうがいいんじゃないかと感じるシーンもたまにある。
けど、それでも、「ぼくから見えているぼく」が、一番大事なんじゃないかなあ、ってちょっと思った。なにがなんでも一番大事としておくべきなんじゃなかろうか。根本的には否定しない位置に置いちゃっていい気がする。「自分が見ている自分」を大切にできていないと、結局は、自己否定ばかりが走り出すことになって、病んだり腐ったりしていくばかりなんじゃないか、と感じたりしたのだった。自己認知が、たとえ誤りの集合体のようなものであったとしてさえ、その(誤った)自己認知を迷いなく優先しておくべきなんじゃないの?って思う。正しさより(自分に対する)優しさのほうが人生をちゃんと駆動させていってくれそう、というか。