運がよかった
なんとなくやれたこと。ぐうぜんうまくいったこと。自然体というか、無意識、無頓着、無作為で動いた結果が、たとえうまい働きかけになってくれたとしても、実は、なんにもならない。身につきゃしない。
って考えるのは、「なにごともちゃんと考えながら動いてないとなんの意味もない」「だからぼんやり生きてんなよ」みたいな責め苦の話にもなりそうだから、あまり推し進めたくない感じもあるけど、「知」を介したフィードバックを素敵なものと見なそうとする意志も感じられるから、そういう側面で見るなら、好きな言説ともいえる。むずかしいな。
「あたまを使って自分自身に返り戻してあげることで、ぼくらは手ずからその輝きを増していけるんだ」みたく言われたらまあ気持ちいいが、「あたま使ってないなら生きてる意味ないじゃん」って言われたらぜんぜん気持ちよくない。「あたま使う」が実はよくわからん問題もだいぶあるか。相手の身勝手な定義でヘンに振り回されるシーンを想定しちゃう問題もある気はする。
結果の受け止め方
「あたまを使いながら動いたほうが身につく・成長する」みたいなものを、どのへんに位置づけるか、けっこう迷う。素直に受け取ってみたときに「あたまを使ってなかったけどうまくいった」を捨て去っていいのかもわからない。のんべんだらりとなにも考えずに動いていても身についていくものはある気はする。動くときにちゃんと考えておいたほうが成長率みたいなものが上がる手応えもないではない。ここのネットワークを築くのがなんかむずい。