世界は称賛に値する

日記を書きます

2025年12月26日(金)あえてスルーと忘れててスルー

よいおとしを

「良いお年を」と伝える場面を意識的に見ないふりして、ごく自然に(たぶん実際には不自然に)スルーしたところがあったのだけど、「今年もお世話になりました」はそもそも思い浮かばなかった。と気づいて、のちのち少しダメージを喰らう。「やらなかった」はいいけど「やれなかった」はじゃっかん落ち度を見出して落ち込む。意識的な「やらなかった」なら、気持ちの上でのマウントを取れる正当性を確保できる(と独りよがりめいた形で信じられるけれど)、忘れてただと、言い訳しようもない。言い訳するシーンがあるかないかによらない。客観的にはほとんど同じであろうと主観的には大違いだと感じてしまっている。

「やらなかった」と「やらなかった」を同一視できたほうがいいのかどうかはずっとわからない。どうせ人から見たら区別なんでできないと開き直るスタンスも一定あってよいような気もする。まあ、実際に説明するシーンになったとき、後追いでおこなう言い訳(いや気づいてたけどやらなかったんですよ)の、つじつまが合わなすぎて後付けが露見するケースもあるはずだから(事前にこういうこと言ってたんだから嘘じゃん)、わざわざ不信を買う確率を上げるようなスタンスはとらんでもよいとも言えるけど、むしろ、うまくやれば信頼を勝ち取る工夫もなくはない。とはいえ、自分に対する欺瞞や誠実、不信感や信頼感を考えて、中長期で考えていくのが、基本かな、とは思うけど。という意味では今日の動きがよいものだったかはあやしい。

うーん、このオチになるなら、これは反省文だったことになっちゃうな。別にこういう話のルートをたどっていく形にしなくてもよかった気はしている。