世界は称賛に値する

日記を書きます

2025年12月10日(水)とはいえぜんぶ言葉上で右往左往しているだけ

絶対的言説も、話しているあいだ生まれるだけ

にんげん誰もが幸せを目指している、という形の命題は、どうしたって否定できない可能性はあるかなと思う。そのひとにとっての「目指している」方向が、常に、幸せである、と定義される場合があるからだ。平和とか、美とかも、けっこう、同じような構造に巻き取られて、どうにもならなくなったりする。絶対視できそうな位置に置かれる。「ひとそれぞれ」とかもそうだろう。

とはいえ、実際の場面でいえば、攻め手は別にそれひとつじゃない。アプローチする技法も側面も、基本的にはいくつかある。どのフィールドに立たせるかでも価値判断や判断基準が変わってくる。そうやって、ためつすがめつしていくうちに、意外な隙間を作り出すことができたりもする。この角度から見るとここに手をはさめるなという取っ掛かりを見つけ出せたりする。

いずれ、「でもこんなのぜんぶ言葉上の問題なんだよな」っていう姿が浮かび上がってくるところも、楽しい。矛盾してようが破綻してようが、現実として、なにかが存在していたり行動したりできているなら、それが最優先だろう、っていう視座はまあある。最優先とまでは言わなくとも、その強度を、言葉、概念、思考、イメージ、みたいなもので乗り越えられる気はあんまりしない。文字通り、無理がありそう。