尊敬しない
英雄視や神聖視と、尊敬の違いは難しい。程度の問題なのか性質の問題なのかわかりにくい。このひとすごい!よりよい世界に少しでも変えてくれそう!みたいな過剰な期待(の押しつけ)を、ときに心にいだくけれど、「こんなこと思っちゃダメだ」と、ただ諌めればいいものなのかもわからない。尊敬を消すのはあんまり喜ばしくない。まあ、喜ばしいかどうかで判定しているそのスタンスが一番あやういだろという説はあるが。いつもながらの「思考停止に陥ってないか」「決断や責任を人に押しつけてないか」あたりでふるい分けしとけばよさそうな話でもある。
好きになり方
目のつけどころがすごい。気風がすごい。手際や工夫がすごい。世への切り込みかたがすごい。いろんなところに凄味を感じて、尊敬し始めたりはする。フォーカスする対象がさまざまなので、好きになる相手も、好きになりかたも、いろいろだ。でも、善人だったらいいなあとは、総じて思う。世がよくなる方向への志向があるとありがたい。結局そこで無意識に足切りしているフシもある。独善とか自己中心的とか性格が悪いとかは、かならずしも悪ではないんよね、っていう線の引きかたもけっこうしちゃっている。