胡散臭い
著書や対談から、この作者はうさんくさいなあ、と感じていることはある。公開している発言や行動から、たぶん、ほんとうに思っていることを語ってくれてはいないんだろうな、って推測する。ウケのよさそうなことを打算的に口にしているだけだから、真に受けたら痛い目に遭うと警戒している。空疎な感動は恥ずかしいみたいな気持ちもある。
そんな、うさんくさい、ズルしそう、騙してきそう、という偏見で誰かしらに接することがあるわけだけど、もちろんそれが、かならずしも、正しいとは限らない。媒体による偏向報道に認知を歪ませられていることもあるはずだし。
逆に、めちゃくちゃ上手な詐欺師はむしろそこを逆手にとることができ、いわゆる「うさんくささ」をぜんぶ隠し通せてしまうのかもしれず、それなら、こんな予感になんの意味があるんだ、とも思わなくはない。
うさんくさいと思わせてくれるほうがまだマシ、あるいは、うさんくさいとか思うセンサーがそもそもないほうがマシ、という場合すらありうるよなあ、とは思う。うさんくささを見定めて、綺麗に寄り分けできているような気にならされていることのほうが、怖そう。まるで当てにならない道具に頼りきっている可能性はなくもない。
騙しきられる
うさんくさいはあてにならず、それを騙しきる手腕すら人類にあるなら、怖い。たぶん一定はあるんだろう。逆に、一定、それに抵抗する精神や文化の勢力が人類にあってくれるならありがたいが、そんな都合のよい状況に期待してもいいのかなとも思う。