日常の断片を、集めて、足場にしていく
たとえ、ぱっと直観的に、最奥に鎮座している「真理」に手が届かなかったとしても、ふだん感じている些細な気づきを、見過ごさずに、しっかりと集め直して、それらをひとつひとつ配置し直していけば、それを飛び石のようにつたっていくことで、最奥の「真理」までたどりつけるに違いない、ってシンプルに思いこんでいるなあ、と自覚した。少なくとも、だいだい可能だろう、くらいのことは思っている。楽天家の匂いもするが、ここを楽観視できているのは、よいことな気もする。
答えにたどりつくためのヒントになる認知はいつだってちゃんと身のまわりにある。たどりつけないのは身のまわりのそれらを舐めくさっているせい。「気づき」と真っ直ぐ向き合えばきっと「真理」にたどりつくための協力者にはなってくれる。といった実感めいたものが正直けっこう強くある。あるいは強く思いこんでいる。まあ基本的にはよい感覚なのかなと思う。