刺激で駆動させる
意識的に、あたまに刺激を与え、無理やりなにかを見聞きさせて、別のなにかを連想させようとする。別の見立てを探させる。関連していそうなイメージを掘り下げさせてみせる。なかば強引に「解釈」させようと働きかける。そうこうしているうちに、なにかを見て、なにかを思うことの回転速度が上がっていく。連鎖もしはじめる。止まらない勢いさえ感じさせられる。
エンジンへの加熱がコントロールできているかのような経験則が、なくはない。かならずしもうまくいくとは限らないが、試そうとしてみるのも悪くない、決して無駄じゃない、といった認識も根強くなってきている。寝不足だから完全に思考停止していてどうにもならない、不機嫌だからもうどうにもならない、みたいな「振り回され」(=すべて、脳みそ側の気まぐれで、理性側としては、ただ静観しているしかない、といった事態)ばっかりでもないようだ、とは思うようになった。どうにか対処は可能、って認識には、いつの間にか到達している
でも、たまたまこれまでうまくそうやってこれた、っていうだけで、まるっきり誤解である可能性もまた、なくはない。それを考えると多少は怖い。元気や活力みたいなものが、いまは必要量に達していて、実現させる動作が可能だっただけ、って状況は、ふつうにありうるかなと思う。若かったときはふつうにそれができていたけれど、中年・老年になっていったら、もうそのためのエネルギーなんて枯渇状態、みたいな事態もとうぜんあるはずで、「どうにかできるもんだ」という楽観も、けっこうあやういものではありそう。
イメージを拾い始める
エンジンがちゃんと動き始めるのに時間がかかった。脈動し始めてくれたのを感じる。なにかを見たり聞いたりきたときに、イメージ化が始まってくれる。イメージが固まってくれる。そうして、その作り上げたイメージを呼び水にして、ことばが、そして理解が、新たに拾い上げられていく。頭脳が活発なときの挙動ってそんなイメージだ(というイメージもようやく拾えた気がする)。