ほどよい礼儀・ほどよい利己
「失礼すぎる」×「利己的すぎる」の掛け合わせの結果、ものすごくイヤ~な感じの仕上がりとなり、あたりまえみたいな顔してまわりに叩かれるようなケースはありうるなと思う。
が、礼儀も、自愛も、正直、ほどよい範囲なんてわからんじゃん、って気もしなくはない。どこからが過剰かなんて目を凝らしてもわからない。「ふつう」と見做しやすいレベルもそりゃあるんだろうけど、ほとんどの場合は、なんとなく気のままやってたらぐうぜん一般的水準の範囲におさまってたよ、ってだけなようにも見えている。というか、だいたいの感性はそんなもんに見える。ほんとうにたまたま。ただただ運に恵まれただけ。あるいはもちろん、外していながら、気づいていないだけかもしれない。
いわゆる「自意識過剰」とか言われるやつも、実際のところ、どれくらいの自意識が手頃なのか、妥当なのか、許してもらえるのか、わからんっちゃわからんところがだいぶあるし。
限界
認知にも思考にもそれぞれの得意不得意や限界値があって、なんでもかんでもうまくはできない。いくら精いっぱいやってたとしても、どうにも届かない領域が、誰にだってあるはずで、でも油断すると、すぐにそれを忘れ、「無礼だ」とか「自己中だ」とか判定してしまったりする。たぶんあんまりよくはない。
厳密に言うなら、自分にとってのメリットとデメリットを考慮し、距離感やコミュニケーション量を調節したり、説明や注意するくらいのことは、あってよいはずだ、とは感じる。なんでも受け容れなくていい。なんでも許さなくていい。都度、個別具体的に、対処していけばよい。けれど、大上段からこちらの都合と基準で「決めつけて」「断罪」するような権利まではないじゃん、とも感じるのだった。その種のこころの動きは制したい。そこは理解しておくべき決定的なところ、って思ったしだいだ。