モラハラ依存
不機嫌によって人を操作するようなモラハラ的な振る舞いも、多々してくるくせに、機嫌さえよければ優しい顔だってときに見せてくるから、「ほんとうはいいひとなんだ」と、ねじ曲がった前向きさで(そう思いたいだけの願望込みで)解釈してしまい、むしろ、依存めいた関係性すら築きあげかねないことになる。そんな危うさの話はちょくちょく見聞きする。説教めいた指南も見かける。
冷静で賢い自分なら、そんな不健全な関係性は、事前にしっかと看破し、はねのけられるはずだ、みたいな見栄を張りたがる気持ちも正直あるのだけど、結局のところ、けっこうあやういんじゃないかと、自分に対しては思う。そういった性質もきっと持っている。頭でわかっていたとしても、たぶん、なんだかんだ、かんたんに逃れられるものではない。
実際、「怖い」と「優しい」で緩急つけられて、うまく手玉に取られているようなシーンが、人生にいくらでもあった、とは思うのだった。そんなわかりやすいダメ人間関係、いくらでも跳ね除けられるぜ!と豪語し楽観するのは、ほんとうに油断が過ぎるので、むしろ、跳ね除けられない前提ではいたい。その前提のうえで、なにができるかを考えたい。いつなんどき間違った「前提」で考えてしまっているかはわからないので、前提の更新はいつだってできるようにしておきたい、っていうのもあるし。
ほだされない
いまの上司に、稀に、不機嫌じゃない(むしろ上機嫌な)空気を出されると、気が抜けて、あっさりほだされる、みたいな、しかもむしろすり寄りかねないような、そんな心情の場面が、正直、なくはない。それが嫌っちゃ嫌だ。見てられないなと自分で思う。
ときどき、そういった、甘えたがるような精神が、ウォーミングアップを始める。しかし別に望ましい展開ではないため、極力、抑えようともする。警戒モードを発動させる。まあ、ほんとうに望ましくないかは、やや微妙なのだけど、しかし、あんまりしたくない(実践したくない/認識したくない)、と考えたがっているのは事実だ。
甘えてすりよるみたいな様はなんとなく嫌だけど、警戒・反発・嫌悪ばっかりが正しいとも思えない。どちらにせよ、頭ごなしに抑えつけるのは、きっとよくないんだろう。キレイな選択が正しい答えってわけでもなさそうだから、ちゃんと考えてはいきたい。軽々しく考えて、浅はかに嫌ったり遠ざけたりしていればいいわけじゃないんだろう、とは、いちおう認識している。