触れた作品のことが、かけらも頭に残っていないケースすら、たまにある。けっこう衝撃も受ける。観たことすら忘れている漫画や映画を見ていて、「あ、これなんか見たことあるぞ」ってなってくるのは、おもしろいはおもしろい。でもだいぶビックリはする。
こういった場面に遭遇したときに、せめて記憶に残るようにしておかねば、って感じてしまうことは、まあ多い。記録を取ったり、感想を書いたり、そういったことをしておくことで、わずかでも消えづらくなればよいのだけど、って考え始めたりする。正直、惜しくなる。もったいなくなる。「記憶に残る」「記憶に残す」ことにあらためての価値を覚え始める。
記憶から消えたら価値を持たなくなるのか、の問題は、むずかしい。そりゃそうだとも言えるし、そうじゃないとも言いたくなる。どちらにも言及しておきたくなる。消え去ったところで身体に染みついているものだってあるわけだから、「思い出せる/思い出せない」だけで価値を決めつけて、明確に線引きするのは、なんか違う、って思えてくるところはもちろんある。けれど、憶えていることの嬉しさとか、思い出せた歓びとか、そういったところのことも視野に入れたときに、どっちに肩入れしたくなるかといえば、正直半々だ。
感想メモ
忘れないために「感想メモ」を書くことなんかがオススメされがちには見える。けど、面談における傾聴において「次になにを言おうかなんて考えないほうがいい」という助言があるように、あるいは、学校の授業を受けるときに「ノートなんて取らずに(できれば録音でもして)ただとにかく話に集中したほうがいい」という助言があるように、ただとにかく目を凝らし耳を澄まして受け止める、といった「集中」が大きな価値を持つような状態も、想像にはかたくない。「メモを取る」なんて行為に意識を向けず、ただ、まっすぐ集中したほうがいいのでは、って言いたくなるのも理解できる(たぶんひとにもよる)。
とはいえ、「思った以上に人間はすぐにモノを忘れる」ってことと、「思い出す、っていう所作は頭脳・記憶にとって、かなりよさげだ」って要素を、混ぜると、かならずしも感想メモがダメなわけじゃないでしょ、とも言っておきたくはなる。「感想メモを書く=気が逸れる」と言い切ってよいのかもちょっとあいまいだし。ちょくちょく休憩がてら、間を起きながら、そのときどきで、「思い出し」「メモを取る」ならば、最善策くらいのこともありうるんじゃないの?って思わなくはない。やりかたとタイミングしだいな気もする。
夢中でメモは取らない
いまたとえば『銀河英雄伝説』コミカライズ版(藤崎竜)を読んでいて、「一冊読み終えたところで、いったんふりかえり、読書メモをとる、といった方式を取ってみたらどうだろう」と、考えてみたりはしている。けれど、セールに乗じてそれなりの巻数をまとめ買いしたせいもあって(つまり、次の巻がたいてい手元にあるので)、我慢しきれず、すぐにまた、次の巻を読み始めてしまうことが多い。休憩をはさまない。すぐにまた夢中になるループに突入しており、読書メモを取ろうと思いつく暇さえない。
そういった実態もあって、読書メモについて、つらつら考えたくなったところはある。考えてみたところで、現状の、「夢中になりすぎてしまいメモをとろうと思い直せない」問題は解決にいたらなかったわけだけど。