鋭いひと言
鋭いことを言いたいとか一定思ってしまっている。思っているなあとときどきは気づく。具体的には「言われてみたらたしかにそう!」って思われたい。気づきをあたえる――蒙を啓くことばを投げかけたい。とはいえ、人生においては、あんまりよい"追い求めかた"ではなさそうである。まずぜんぜんかんたんじゃないからだ。そして、ともすれば、その先につながる道などなく、深い崖が待ち受けるばかりのようだからだ。
実践できている人と、憧れている人の、乖離がひどくて、ともすれば最初から断絶すらしていて、勘違いした者がその山に挑もうとしたならば、ただただ静かに傷口が広げられてゆくばかり、みたいな状態があるっぽいなあと感じている。いばらの道どころか、そもそも道など存在せず、けれどなにか希望があるかのように惑わされ、最後には墜落していくだけの、破滅への道程。目指すべくはそこじゃないんじゃない?と、落ち着いた誰かにはあっさり指摘されかねない、きわめて愚かな目標設定。
テキストサイトの影響
テキストサイト全盛期あたりに、連日更新で、かつ、「なるほど!!!」と驚かされるオモシロ文章をたくさん読まされた影響で、そんなふうに思いこんでしまったところはあったと思う。そんなことも可能みたいだ、って認識してしまった。誰もができるようなことじゃない、とか、若さゆえの早とちりもあった、とか、落ち着いて見わたせば別の解釈に至れるところももちろんあるのだけど、そのときに育った憧れと、変な前のめり精神は、いまいち矯正しきれていない気がする。こびりついたまま残っている。
きちんと制して行動するように自戒はしたい。でも、ある種の熱量がこういうところを根っこにして生まれているのもたしかなので、変なふうに否定したり、頭ごなしに押しつぶしたりすることは、したくない。かっこつけ、見栄、虚栄、すごいと思われたい、みたいなやつも、あっさり切り捨てるには惜しい。
惜しい
あらためて眺めてみると、「惜しい」もなかなか人生に悪影響をあたえそうな気持ちのひとつだな。「恥ずかしい」「面倒くさい」と肩を並べそうである。