断片
なんだって他人のせいにすることは可能っぽい。同じように、環境のせいにもできる。自分のせいにだってできるみたいである。分担するようにして配分を決めてもいいけど、おそらく正しいかたよりはない。わかりやすく線引きすることはたぶん不可能。
ゆがんだレンズを通して世界を見る。狂ったまなざしで事態を解釈する。都合よくなるように(あるいは、"都合よく"都合悪くなるように)理解の捻じ曲げ、かたよらせる。そういったことはできれば避けたい。ニュートラルに物事を見たい。とはいえ、適正な配分なんてものにはどうせたどり着けないんだから、どちらに転んでいるのか、どれくらい狂っているのか、突き詰めれば、自分でもわからない。
なにをどう言ってもズルみたいに思えてきたりするなとは思う。都合よく捻じ曲げているじゃんという(そんなふうに糾弾されている)気分になってくる。
逆に、自分でぜんぶ責任を負うかのように振る舞えば、罪悪感は薄まって、なにかを言いやすくもなるけれど、それはそれでどうなんだ、って気もする。そして、それはそれで耐えきれるかもわからない。たぶんそんなに強靱でもない。思っているより脆い。あるいは諸刃で傷つけられる。
ツライ、キツイ、みたいな側面が妙に目立っている昨今だから、余計、そんなことを気にしてしまってるんだ。だから、環境を変えればまずはよい。っていう対策は、ひとつありそうだと思う。気にせず、意識も意図もせずにいられるなら、もうそれだけで解決だったりはするだろう。適切に距離を置けたら、見えないところに遠ざけられたら、問題になってこなくなる「問い」という気はする。
他人のせいにしたり、自分のせいにしたり、忙しい。ヘンに行ったり来たりしている。そもそもそういう「せい」「責任」みたいな構造で物事を見ないようにする、っていう対処法もあるはずだよな~、とは考えているのだが、それもまたかんたんじゃない。
ぐるぐるする
ぜんぶ引き受けるのも違うし、全責任を放棄するのも困る。最適なバランスがどうこうと言ったところで、ケースバイケースと気分で決まるだけだろう。むちゃくちゃずっと、ぐるぐる、ぐずぐず、している。ほどほどに描き出すようなこういう場があるのはありがたい。