思った以上に異なる支柱が用いられている
しっかりまわりのみんなと同じ判断ができるようになりなさい、といった雰囲気を(圧を)を職場から感じてはいるけれど、双方のあいだで、いくつもの観点が近似している状態(せめて互いに理解しあえている状態)まで行き着かせないと、"同じ判断"なんて無謀、とは感じられるようになってきた。どうにも一致しない認識の混乱を繰り返して、原因がどこにあるのか、多少は見えてきた。
社会観や組織観、知性・行為・責任といった概念、それこそ死生観や人生観までが、しっかり噛み合っていないと、無理そう。そして、いまの職場でいえば、それぞれ、だいぶ異なっているな、と感じる。たぶん、ふだん考えていることが、ぜんぜん違う。大事にしているものが違う。隔たりがある。こんなに差のある文化圏があるんだ、って、職場が変わったことによって、学べはした。体感できてよかったとは思う。思いのほか"自分の水準で場の色合いを染めていける環境"にいたため、ここの認知が育たなかった。
わかりあうため動きもするところではする
たいていの人類同士は、そのような"隔たり"をもつ状態であるため、すりあわせるための手練手管を(助言や対話、わかりあうための技術を)育てているものなんだ、といった組織観も、なくはない。組織の問題として認知して対策しているところはありそう。人のマネジメントという概念がそれに相当する気もしている。が、現況では、そうなっていない。いまの所属組織を見ていると、むしろそこを摺り合わせない意志すら感じる。いいんだけど、異星人みたいな感覚の人間が入ってきたときに、個別の指示とか個人の後悔だけでチューニングしていこうとするの、無理じゃね、とは思わなくもない。