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日記を書きます

2025年8月22日(金)野球やってたらたぶん素振りをぜんぜんしない

型を舐めている

無意識的に「型」を舐めくさっている気配は、ときどきこぼれている。少なくともだいぶ甘くは見ている。そういった考えや感じは、一定、自覚できている。明確に弱点だなとも思う。これによっていろいろなものが裏目に出ている。逆作用的に働いていることが多い。というか、裏とか逆とか言ってみてしまったけれど、実際は、たぶん、至極真っ当に、よくない結果につながっているんだろう。ろくなもんじゃない効果が発揮されてしまっている。

ざっくり言うなら、こいつ、ぜんぜん"素振りしない"な、って思うのだった。する気がない。その発想にたどりつくことさえ少ない。「型」の軽視がそういう振る舞いにつながっている。

芯を喰ったイメージ

この「素振りをぜんぜんしない」イメージは、ぼくのかかえる問題に対して、"かなり芯を喰った"描写だ。と、なんとなくそんなふうにも思った。めずらしいくらい、しっくりきたのだった。これくらいのイメージの合致率って、意外と見られない。そうそうかんたんにしっくりこない。だからこそ、こういった出会いは貴重なんだと思う。こういうふうに「しっくりくる」イメージが持てたときの場面は、できるだけ大切にしておきたい。しっかり心に刻んでおきたい。

ともかく、誰もいないところでひとりで練習するようなことをしない。トレーニングを甘く見ている。誰かに協力をあおいでシミュレートするようなこともしない。そうやって、やっぱり、素振りをしない。「型」を身体になじませようとしない。一人芝居みたいなものを恥ずかしがっているだけみたいな精神性もたぶんあるし。よくないなあと思う。

「本番」を甘く見ているフシ・「ミス」を赦しすぎているフシ

たぶん、本番でなんとかなるだろうくらいのことを、頭の片隅で考えているんだろう。もしくは、本番でミスしたってよいとすら思っているんだと思う。本番における半端な経験の積み重ねだけで中長期的にはなんとかなっていくに違いない、みたいな楽観がたぶんある。その「甘さ」に、ときどきは気づけるのだけど、普段は自覚できておらず、なおのことたちが悪い。