かんたんにできるはずだが
頭では、こんなんかんたんにできるでしょ、って(虚勢や欺瞞の気配すらなく)思えているのに、無意識や身体が、実際は、がっつりと拒否していて、思わぬブレーキをかけられている(かもしれない)ような事態に、どのように対処したらよいんだ、という問題が、ほんとうに昨今の事情な気はする。ここにある「かもしれない」を検証する手立てすら思いつかない。
同じような話をし続けているなあ、とはなっちゃうが、こういった繰り返し、というか、言い換え言い換えによって、操作可能な「面」をどうにかして見つけ出そうとしている、とは言ってもよい。パラフレーズこそが多面性をつかみとっていく手段のひとつなのだ、っていうような認識も最近はある。