言語化の話
「一般的に言語化ってこういうものだと言われていますが、ぼくは言語化というものを、こういうものだと見做しています」みたいな、広義・狭義/世間・個人で使い分けるような定義の違いを説明したあとに、どちらの意味かきっちり説明しないまま「言語化するなら~」「言語化に対しては~」とか話していくような解説文を読んで、うーん、ってうなった。「ぼくは言語化をこう定義しています」って告げたあとに、その個人的な定義のもとでの説明ばかりがちゃんと続くのであれば、問題もなかったのだろうけど、かならずしもそうでもない混在させた話がおこなわれていて、混乱した。なんとなくしっくりこないと感じられている読書体験の欠点のひとつが、少なくともここにあるんだろう、って分析した。
とはいえ、だからもっと整理して話せ、じゃないとダメだ、って責めたいわけでもないんだけど、とは思った。いたずらにひとさまに要求するようなことじゃないって気もしている。安易に求められるような簡単なことではない。同じことばの「一般的意味」「個人的意味」を並存させて、その上で話を続けていくのは、難しい。それができるだけで尊敬に値するくらいのことなんだと思う。
ともあれ、配慮すべき失敗例がこうしてわかりやすく現出してくれる事態って、ありがたいな、とは考えていた。ほころびが具現化してくれるのって基本的にはとてもありがたい。具体例の物差しがひとつあるとそれだけで考えやすさが変わる。