知らずに身体や頭が拒否している
「意志とか理性でどうにかできる範囲だろう」「ちゃんとやればできるはず」というような認識が、実は勘違いだったときが、一番怖いよな、って思った。最もやっかいな可能性がたしかにある。それがほんとうに勘違いであったらどうにもならん感じである。勘違いから脱却できるかあやしい。構造的に抱え続けざるをえない勘違いって気がしてきて怖い。
だいたいみんなできてるし、そもそも昔の自分はできていた気もするし、できないわけない、つまり、「いまやってない自分はサボってるんだ」、って自責や自罰してしまうようなシチュエーションの背後に、「微細な差異や変化によって、ただただ、自分には達成しようのない、体だって心だって動いてくれない、苦手どころじゃない拒否分野」があった場合、これ、かなりどうにもなんないよな〜、って考えていた。そこにある事実に気づくことさえできなそうである。
自認すら拒否している深い嫌悪みたいなものがたとえばあって、そのために貢献しようと考えることすら自分という存在が無意識に拒否しており、身も心も、実は、ぜんぜん、動かない。なんで動かないんだ?と操縦席で不思議に思うくらい自覚なく、困惑させられている。
そういう可能性に触れようとするだけで、自分のサボりを正当化するみたいになってしまうため、なんとなく、視界に入れないようにしちゃってたんだけど、ときどきはそれくらいのことも考えてみてよいはず、って思い直した。極端なケースだってとうぜん踏まえていい。自分に都合のよいパターンだって考慮してみていいはず。思考の範囲を狭めるのはとりあえずよくないよ、とは思っておきたい。