世界は称賛に値する

日記を書きます

2025年8月15日(金)慣れるにしたがい長くなる

気づけば長い

ことばに慣れていく。書くことに馴らされていく。習慣的に文章を書き続けていくうちにそうなっていく。結果、いろんな思いつきがやってくるようになる。手慣れて効率的になっていった言語変換プロセスが、そういったところに手を届かせてくれる。少なくともその機会は増える。そうして、文章がどんどん肥大化していく。基本的には楽しい。ひとことふたことしか書けなかったのに、実際に長い文章が目の前に現れ出てくれるようになってきて、嬉しくなる。書けるようになるのもありがたい。

問題のひとつは、肥大化が進んでいって、いずれ処理が追いつかなくなったときに、起こる印象だ。なんかこう、どこかで手が止まる。しっぺ返し的に、ふっと、疲れか飽きか等によって、腕の動きが鈍る。めんどうくささも芽生える。満足のハードルもいつの間にか上がっている。最初はひとことふたことの書きつけでじゅうぶん楽しく遊ぶことができていたのに、って感じられてくる。

一匹二匹のことばと遊べていたらよかったのに、大群を相手にしないといけないような気がしてくる。でも大群を相手取るのは大変だから、なんとなく疲れた気分になって、無意識に距離を置いてしまう。にもかかわらず、大群を相手にしていないことに無意味さも感じ、結果として、なにもしなくなる。

文章に対するこういう行動、こういう認知、ものすごく多いので、なんとかしなよ、って思った。

たてがき

ひさしぶりに縦書きで書いた。O's Editor3(エディタ)も使った。たまにやるとよい。いずれもやっぱり手ざわりが変わる。

一行二行であきらめられない

一行二行の日記を許容できなくなってくると、経験的に、やっぱりよくない気はする。なんか「不完全」を見て取ってしまう。よくない心理・心情だ。

言い訳で長くなるのはふつうによくなさそう

書きたいネタが溢れて肥大化するパターンは、言うほど気にしなくていい気もしてきた。さまざまな新しい発想が溢れ、長くなるのは、悪くない、というか、しかたがない。書き慣れるにしたがって、"心配"が増え、読み手に伝わるかどうかを過度に怖れた結果、補助とか補完のためのことばが増えすぎて、肥大化するパターンが、よくない気もした。