世界は称賛に値する

日記を書きます

2025年8月14日(木)日常語の範疇にもかかわらず使っていないことば

立ち直る

「立ち直る」って単語を見て、こういう言葉がそういえばあったな、って思った。忘れていたというか、頭から消えていたと感じた。「元気になる」あたりとは、少しニュアンスが異なる。折れ曲がっていたものがまた真っ直ぐになる手ざわりという感じ。折れ曲がってしまっていた事実は(つまり"折り目"は)消えない。折れていたところから、また、ふたたび、当初の位置に戻ってきたのだ、というプロセスだって消えない。そうして、真っ直ぐだったもともとの位置に(たぶんちょっとは強くなって)帰ってきて、立った。そういう"帰還"のニュアンスがなんとなくよい。

ふつうの単語の再発見

日常語の範疇から外れたものだとも感じられない(身近にあったとは思ってしまう)のに、握りしめていた手のひらの中からはいつの間にやらこぼれ落ちていた単語が、ときどき見つかる。「こんなフツーの言葉を忘れてしまっていたんだ」って気づかされる。というか正直けっこう気づくことが多い。よっぽどちょこちょこポケットから落っことしているんだと思う。ただ、こういったような、めずらしくもない単語をふたたび手に入れ直したときの驚きを、ひとさまに共有するのって、難しい。ものすごくふつうの単語を再発見したときの、楽しさも、驚きも、間違いなくあるのだけど、伝えかたがわからない。ビックリしてるほうがヘンだ、みたいな気持ちにはなる。ともあれ、こまかいニュアンスに出会い直せるのって幸せなことだな、とは思った。

自分の手でも使ってみると新鮮

ぱっと見は、誰が使っていたってぜんぜんおかしくない日常語、というふうに見えていても、見たり聞いたりするのと自分で話すのじゃやっぱり機能やレイヤーが違って、意外と自分では"用いられて"いない単語が、たくさんある。自分の手で使ってみると、あ、こんな感じなんだ、って驚けたりもする。その驚きもまた、ひとさまに伝えるのはカンタンじゃない。

とはいえ、ひとさまの文章を読ませてもらっているときに、「その単語、よく考えたら、あんまり使ったことないな~」って気づけるのは、嬉しい。文章を書くときに、意識的にそういう言い回しを混ぜこんでみせるのも、楽しい。

直近のメモでは、「勢いまかせ」「値踏みする」「せめぎ合う」の三つの言い回しを、記録していた。見慣れてはいるものの、使い慣れてはおらず、今後ぜひ使ってみたいことば、としてピックアップしていた。なんだかんだすぐ忘れそうだったため、ここであえてさらに書き出してみた。どこかの記述のなかに織り交ぜていきたい。