世界は称賛に値する

日記を書きます

2025年8月12日(火)アオアシの続きを読んだ

アオアシ

漫画『アオアシ』を読んだ。おととしの夏あたりにも、同じ感じで読んでいた気がするな。勝つ、戦う、学ぶ、真剣に向き合う、逆境、闘争心、足掻く、這い上がる、といった事柄に目を向けさせてくれて、思いのほかとても元気にさせられる作品だなと、あらためて思った(おととしも思った)。直近の読んだところだと特に第20巻が気持ちよかった。おもしろかったし、熱くなったし、元気づけられた。こういった方面・方針の打開策だってたしかにありはするはずだな、と、頭の中を整理してくれた気もする。

"できなさ"に真っ向から向き合って、諦めず、考え、なんとか這い上がってみせようと、執念を燃やす。そういう情熱をいだく。平穏も安全ももちろん大事ではあって、最近はそういったところを四の五の言わず優先しているところがあったのだけど、弱肉強食や生存競争にまつわることだって、ある程度は、ちゃんと、考慮しておきたい。

「勝てなきゃ意味がない」「勝つためになら、やれることは、ぜんぶやる」「エゴを貫き通す」「必要ならエゴの形すら変えていってみせる」。そういった勝負や競争、スポーツ式の思考形態だって、ときにはあってよい。一定の正しさは持ちうるはずだし、あって当然だとも思う。そういう状態こそが適しているケースだって、それこそ適合しやすい精神状態だって、あるに違いない。冷静に見つめなおしてみれば、そういったやりかたのほうが、ぼくに向いている可能性だって(場合によっては)ありうる。

熱血は忘れる

うーん、というか、さいきん、「不安」「遠慮」「消極」みたいな"身を固める"ための(堅実的な意味でも、萎縮的な意味でも)言葉を多用しすぎたせいか、こういった根性や気合いにかかわるノリを、無理に忘れようとしている空気も感じるんだよな。それも、なんかな、とは思う。過剰な感じもなくはない。そもそも熱血もけっこう好きなんよ。そこもたぶん、肯定はしておいたほうがよい。

引用メモ

  • 「闘争心、残ってる奴はいるか」
  • 「強大な力でもって、ゴールを、チームを守る」「すでに俺には、そういう力が、あると、勘違いしていた」「情けねえ……情けねえ!」「一から、一から俺に教えてください」
  • 「あたしはあの子に、それほど真剣に、人生と向き合う場を、与えてあげられなかった」「あなたが世界を広げてくれました」
  • 「反吐が出るまで追い詰められても、怪我をしても、這い上がって這い上がって。自分がプロになることに、一ミリの疑念も抱かずに」「サッカーの才能は、技術があるとか、身体能力があるとか、そういうことじゃない」「どれだけサッカーを愛せるか、だった」
  • 「高い要求やと思います。阿久津さんは俺に、できると思いますか?」「お前以外、誰がやるんだ?」「なんか、けっこう気分がいいんす、今」
  • 「俺が、お前らを勝たせてやる」「お前達が二度と負けないための、今この時、この練習なのだ」「聞き逃すな。ここしかない。「次」はない」
  • 「勝利へのすさまじいまでの執念」