自分のせいか、環境のせいか、最終の答えはない
弱い心に打ち勝って一念発起して打開するほう懸けるべきなのか、これ以上無理すると壊れるだろうと計算して生き延びることを優先すべきなのか、一律の答えはない。
ひとに話して「そんなのフツーの環境じゃん」「たいしてつらくないだろ」って言われたところで、見通せないくらい微細な圧がいくつも掛かっていて、あるいは長期にわたっていて、総合的な結果、死にそうになっているのかもしれないし、「そりゃひどい」と言われかねない環境説明であっても、実際は、じゅうぶん打開が可能な、むしろそのひとに合わせた「適切な関門」をあたえてくれているのかもしれない。感情で事実をゆがめて見ているだけでたいしてつらくないことさえありうる。
いずれにせよ、どこに問題があったか、どこに解決策があったかは、結果から遡及的に決まる。決まったあとでしか、正しい判断だったかどうかは定まらない。できることは、どちらに賭けるかでしかない。
この両極のあいだで困っているのって、時間の無駄だよなあ、とは思った。合っているとか間違っているとか、ないので、好きなように決めるしかない。誰かに、「正しい判断だ」「間違っているよ」って言われたところで、どうせ根拠はない。助言を求めたところで意味なんてない。気休めだろう。最終的には、自分で決めて、いわゆる「自分で責任を取る」しかない。
都合がいい選択肢というか、選べる選択肢を選ぶ
明瞭な答えのない二択のあいだで、安心させてくれる助言を求めているだけだなあ、とは思った。そして、自分で決めちゃうしかないなら、「自分にとって都合のよい解釈」を受け容れるしかないはずだよなあ、とも思った。
好きなほう、やりたいほう、壊れない範囲でがんばれそうなほう、を選ぶ形で"決め打ち"するしかない。それが都合よすぎるように思えてもかまわない。そこに逆張りして、過度な負担がかかるほうを選ぶ意味はあんまりない。