補助輪を嫌がる
補助輪なしで動けたほうがいいよね、ってそりゃ思う。補助輪つきはフツーにダサイとか感じてしまうためだ。十数年だかを生きて、一人で立てないのは、ダサイ。立ちかたが学べなかったのはダサイ。いい大人なら、なおさらだ(という認識が、正しくはなくとも、一般的だろう)。そんなふうに、たいした思慮も明確な理由もないまま、拒否してしまいがちだとも思う。むやみにカッコつけたがる。問題も整理もせずに評価だってされたがる。できるだけ、みっともないと思われないようにする。
けど、その(見栄の)せいで、ゴールできなくなったり、遠回りする羽目になっていたり、停滞していたりしていたら、意味はないな、とも思った。ほんとうに意味がない.
弱さや欠落を、素直に認めて、許すしかないんだと思う。求められる助けは求めるしかない。甘えや弱音に見えたってしょうがない。やれることをやるしかない。
応援
自分で自分にこういうことを言っていると、勇気づけるためのただの声援(前向きなだけの上っ面の声かけ)みたいに見えてきたりもするのだけど、しかし、突き詰めてちゃんと考えれば(というか、突き詰めて考えればこそ)それがほんとうに基礎であり奥義なのもわかるはずじゃん、とは思った。大前提がここにあるとわかる。