世界は称賛に値する

日記を書きます

2025年7月2日(水)バランスよく世界観を推したい

領空侵犯

合理と非合理、言語と非言語、知性と反知性、資本主義と非資本主義、民主主義と非民主主義、教育と非教育、形式知と暗黙知、社会と個人、自然と人工、理屈と情動、建前と本音、強さと弱さ、答えと問い。文理融合とかだと、少し話がズレるところもあるかもしれないが、とにかく、ひとつの(いまの)立場に安住することなく、いわば領空侵犯しながら、見知らぬ大切なポイントと、それらが織りなす新たな星座を探す。

理屈ばかりで物事を進めない。身体性も重視する。動的であることも重視する。論理や分析に寄りかかりすぎず、感覚や感情だけにも甘えず、ふたつのあいだのあるものを、誠実に見つめながら、あたらしい領域とありかたを模索する。少なくとも、まだまだやれることがあるんじゃないか、現代社会なんてまだ「過程」に過ぎないんだ、と認知して、ちゃんと考える。

このあたりのスタンスが好きすぎて、そういった意気込みで生きようとしているひとたちを、素朴に称賛しているところが正直ある。よく応援している。ただ、それはそれ偏りすぎなのかもしれない、と、反省するところもなくはない。盲信みたいになっていたら困る。「一辺倒」は、なんにせよ、よくない。結局それによって視野が狭まるなら意味がない。この手のメタ的な視野狭窄から逃れるすべも、あるのかわからないが、気をつけたいとは思う。

立ち止まらない対話の例

COTEN RADIO、ゲンロン、超相対性理論、ブックカタリスト、うちあわせCast、日本一たのしい哲学ラジオ、問い読、あたりでおこなわれる対話の配信等々を見ていて、この方向性の世界観をとにかく打ち出していきたいものだ、って素朴に思っちゃうことも多いわけだけど、エコーチェンバー現象的な「内輪」の褒め合いみたいなことにもどうしてもなってしまうため、注意したい。

平熱をあわせたい

ただ、まわりのひとたちの「常識」「当たり前」の空気に後押しされるというか、勇気をもらえるみたいな側面も、きっとあるはずだから、平熱をそこに(ぼくの理想や希望に沿うところに)合わせておきたい、って気持ちも正直かなりある。熱狂しすぎなきゃいい、目を閉じ耳を塞ぐようなことになってなければいい、みたいな注意喚起で、一定、なんとかできそうかな、とも思う。それくらいの期待はしたい。じゃないと自分自身の活力や活動の妨げにもなりそうだし。