世界は称賛に値する

日記を書きます

2025年6月30日(月)エピソードとたとえ話じゃ根拠にはならない

ピンとこない

なんとなくしっくりこない読書経験があって、なんでこんなふうに感じてしまうんだろう、って思案していた。「これらは、こういうものだから、ここが大事だよ~、だからこういうふうにするといいよ~」って教示してくれるような本だった。別に、理由や結論が狂っているわけでもない。一定の納得感はある。異論や反論を差しはさみたいわけでもない。けれど、「たしかにそうだ!」とはあんまりならない。ごまかしじみた雰囲気すら感じた。

あくまで個人の体験談、似ているだけのたとえ話、通り一遍の因果の説明。この三つばかりが並ぶ言説になっていたせいなんじゃないか、って、読み返していて思った。「ぼくはこういうふうにやったので上手くいきました/こういうふうにやったら上手くいったという話があります(エピソード)」、「トマトを作るときには水をあたえすぎないほうがよいのだけど、それと同じです(喩えによる例)」、「相手にちゃんと話を聞いてもらえないのは、論点が整理されていないからです、だから、なにが論点なのか整理しましょう(一段階分くらいの理由)」。こんなのを並べ立てられたところで、「たしかにそうだ!」とはならない。v

解き明かそうとする気があるのか、ただの助言なのか

同じ時期に並行して進めていた別の読書が、ちょうど、「混乱している我々の認識や知見を、どうにかして整理し直していきましょう」「一律の回答を出せる問題ではないけれど、しかし、できるかぎり、論理的に解き明かしてみせましょう」「モデル化して、理論化して、前提や目的を見出し、構造を浮き彫りにさせたうえで、なんとか上手く説明できないだろうか」といったノリによる(知的に真面目な)ものだったため、余計に気になったんじゃないかとも思う。

"解き明かそう"とする意欲がないのとあるのの、対比が絶妙な二つの読書体験であった。かならずしも"解き明か"さなくたって、「こういうときは、こうなることが多いらしいから、ここに気をつけたらいいんじゃない?」くらいのことは、言える。助言は成立する。エピソードや比喩を足しまくれば、読みやすくもなるし、説明の量だって増えるだろう。一見、説得力が増すようにも見える。でも、納得感は意外と増してくれない。そこに違和を感じ警戒した感じだったんだろう、とは思った。そういう読書が苦手みたいだ、とも再認識した。