世界は称賛に値する

日記を書きます

2025年6月26日(木)当たり前の駄作は言いすぎ

みんなが気づいていない可能性

現時点での人類の知性ではそうそう気づけない凄味が潜んでいる可能性だって、当然、いくらでもありうる。人類、見回すと、あんまり賢そうじゃないし。信頼に足るかはあやしい。大衆とか一般とか言いたいわけでもないけど、みんなが当たり前みたいに「駄作じゃん」って鼻で笑っていても、別に当てにはならない。

「みんながごちゃごちゃと文句を言っているが、ぼくはけっこう好きだけどなあ」って思えている案件だと、余計にそう感じる。というか、そういった理路を使って、擁護も(自己正当化も)したくなってしまう。それがよいとは決して言えないが、しかしともかく、皆が一律に「当たり前なものとして」貶している光景に、意味わからん、とは思うのだった。意見表明するのはかまわない。けれど、さすがに、「当たり前」(みんな言ってるし、駄作なのは間違いないよね、っていう)判断は、やりすぎでは?ってなる。