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日記を書きます

2025年6月25日(水)記憶の蘇生はうれしい

記憶

記憶が蘇ってくれるのはたいへんうれしい。というか好きだ。消えうせていた些細な記憶ほど取り戻せたときの気持ちよさが大きかったりもするし。思い出なんてコントロールできたもんじゃないぶん、余計に期待しているところもきっとあるんだろう。結果として、「思い出したい」気持ちはいつも強い。

ただ、衝撃や感激がいくら強くても、それを、ひとにわかってもらえるかは、微妙だ。そうそう共感は得られない。同じ時期や地域の思い出が共有されていないと基本的には厳しい。だからこそ一緒に笑い合えたときの快感が強くなりすぎているところもたぶんあるけれど。

小中学生の頃からちょくちょくPCをいじっていたため、この時期の記憶が刺激されると、正直、めちゃくちゃ気持ちよい。認知や所作の手ざわりをふたたびこの手に取り戻せた、ってだけであっても、もだえるくらいの思いにはなる。実際、記憶から消えうせていた事実に、別ルートから偶然出くわして、歓びに、もだえたりしている。

当時はパソコン通信にハマっていた。ほんとうに素敵な思い出だ。できるだけ思い出したい。ひとにも話したい。けど、ひとにそれを伝えるのは、やっぱりきわめて難しい。夢の話をする寒さに似ている。こういった閉鎖的な楽しさを、うまくトレースしてもらえるよう、伝える技法が、ほんとうに欲しいやつなんじゃないかな、とも考える。