世界は称賛に値する

日記を書きます

2025年06月04日(水)公言タイプ

日頃から「好きだ」とか「やってみたい」とかちゃんと言っておいたほうがよい、って話はあるみたいだ。恥ずかしげもなく、人目もはばからず、不遜だとしても、公言しておいたほうがよい。どれだけ無謀であっても、あるいは誰かに、「身の程知らず」とか「夢見がち」とか嘲られたとしても、めげずに、打ち出していったほうがよい。いつかどこかにその叫びが届くことだってあるからだ。それに、当然だけど、そんなの、言わなければ、誰にもわからない。道だって拓けない。たしかにそれはそう。でも、言わないことのほうが実際は多いなって思う。よくはない。

発言力というか発語力というか(どちらもニュアンスが違う)とりあえず、遠慮も忖度もせず、まず、口に出してみる力。人生にあたえる影響力を考えたときに、ここが重要パラメータのひとつになるんだろうな、とは感じる。これまでいくつかピックアップしてきた「人生全体を左右するパラメータ」に組みこめる気配は濃厚だなと思う。

「口先だけじゃん」とか「意識高い系だ」とか、いろいろ指摘されかねないポイントはいくぶんあるにせよ、そして事実そこで「よくない回しかた(騙すとか)」をするひとだっているにせよ、それでも、まわりのひとに「認知されうる」ムーブをとっておくことの重要性を、理解し、納得できているかどうか。

そのあたりの優先順位を、ひとの(無責任な)言葉で惑わされない力かな、とも思う。

だからって大言壮語を触れまわる根性までは、やはりない。分をわきまえる、足るを知る、といった在り方に「品」「優雅」という良さを感じることもあるし。その両者のあいだで自分に都合のよい"ぬるま湯"を探して欺瞞かましている気配だってある。難しい。