世界は称賛に値する

日記を書きます

2025年06月03日(火)その日その日のレーダーに引っかかった閃き

レーダー

その日その日でなにが気になるかは違ってくる。引っかかるところに差がある。そのへん、気分でだいぶ変わる印象だ。この「気分」が重要なんだろう、「気分」をコントロールすることで人生が意外と変わりゆくに違いない、といった認識が、ぼくの世界観の根っこにはある。「印象」っていう言葉も似たようなあつかいをしている。

今日はなにが気になったか。意識が拡げているレーダーにおいて、どういうふうに引っかかってくれたか。そうして、なにに気づけたか。はっとしたこと。ひらめいたこと。「なるほどそうか」と思えたこと。そういった事柄を書き残しておきたいと思ったのが、そもそもの日記の動機だったなと、あらためて考えていた。原点に立ち戻る思いで見つめ直した。“気づき”を忘れたくないし、それに、共有だってしたい。

難点をあげれば、このあたりの見解がほんとうに自分のものだったかはあやしい、っていうところにはなるのかな。いろいろ素敵な日記書きを見てきて、そしてその語りを聞いてきて、このあたりの見解を、学んだというか、真似してきたところはきっとある。いつの間にか自分のものにしてしまった。剽窃した。よい言いかたをするなら、勝手に受け継いだ。

日記でねじまがった

楽しい日記書きたちがたくさんいて、そういったひとたちとの邂逅によって(勝手に読ませてもらっていただけだが)、人生を、一定、ねじ曲げられたような気はしている。「捻じ曲げられた」という表現はちょっと露悪的だけど、基本的には、楽しい気持ちだ。おかげでよくなった、とすら思っている。インターネットで人生が変わった、テキストサイトやニコニコ動画の影響で人生が変わった、みたいな事例はおそらくたくさんあったはずで、目立った変化も、ささやかな違いも、それぞれあるのだろうけど、ぼくの人生も、地味ながら、それなりに変わった感はやっぱりある。失敗感はないので不満はあまりない。ひとりよがり・視野狭窄・閉鎖的にやりすぎた感はなくもない。