世界は称賛に値する

日記を書きます

2025年05月26日(月)記憶と視野が選択肢を見逃させない

記憶と視野

人生、世界、社会、どのレイヤーの話にして語ればよいのかは、いつも迷うが、このあたり、なんだかんだ記憶力のよさ勝負っぽくもあり、視野の広さ勝負っぽくもあるなあ、とは感じる。ぜんぶがぜんぶそうじゃないにせよ、けっこういろんなところに、それらの要素が絡んでくる。それらが要因となって、思考の前提になる情報量を増やしてくれ、認識と判断の質を高めるための強固な礎になってくれたりする。

いやそんな単純なことでもないでしょ、とは思っていたものの(思いたがってはいたものの)、一定、超えられない壁はありそう、とは感ずる。なんでもかんでも打ち負かされるってほどではないにせよ、敵わない勝負はなくもなさそうというか。情報処理プロセスの上手い下手で乗り越えていける範囲もあるみたいだが、しかし、ほかのところが同等なのであれば、やはり、記憶と視界の影響はかなり喰らわせられる印象だ。

まあ、かならずしも、人間に、冷静で合理的な判断ができるとは限らなくて、感情の暴走が短絡的判断に走らせるケースもまま見受けられるため、そういった隙を作り出し、あえて突いてみせる戦略ももちろんあるみたい、とは思っているけれど。あとはまあ、戦うフィールドを変えたり狭めたりして優位を作り出すやりかたも、当然あるっぽい感じかな。

もっと事前に知恵を

感情を揺さぶって判断を鈍らせるとか、戦うフィールドを変えて優位を作り出すとか、言葉上だと「やってやれないことはない」くらいの話に見えてくるが、実際にやろうとすると、そんな簡単な話でもない。上手にできない。ただ、これを難しいと感じるのって、「戦術レベルでやろうとしているから」な気もしてきた。距離が近い。もっと距離を置いたところから、つまり時間も余裕もある地点から、用意し始めないと、間に合わない。完全に面と向かって話し始めたところで「話すための知恵」を巡らし始めたって遅い。