完成するまで隠すタイプ
「完成させるまでひとに見せたくない」という精神はオススメできない。「ちょくちょく進捗報告して、状況を共有しておく」やりかたのほうがよいよ、といった話題を見かけた。「おっしゃる通りなんだけど、そうも言っていられない事情がときにはある」「あくまで途中経過として、誠実に、しっかり聞いてくれる相手かによる」といった異論も多数あって、なるほどと思った。今後、お子さまの話を聞くにあたっても一考はしておきたい。
正直、「完成させるまで、ひとに見せたくない」派ではあったと思う。子どもの頃は完全にそうだった。いまでも基本精神はそちら側だ。職場でもちょこちょこ軋轢を生んでいる。というか、ここ数年は、問題を起こすことが多かった。おかげで、そういう所作の欠点には気づけた、というのもなくはない。以前の職場だとそれが特に問題にならなかったせいというのもあるかな。話しやすい空間で、会話量が多く、そのおかげで、情報が自然に補われていて、露見せずに済んだ、という気はしている。素直に、都度、プロセスを話せていた。いまの職場は話しづらい。
学生時代も明らかにその傾向があったなと思う。完成させるまで表に出そうとしない、ええかっこしいだった。うまく完成させられなかったなら、なかったことにもできるし。
ヘンな動きを見られたくない
考えごとに集中しているときは、挙動不審な自覚がある。唸るし、黙るし、立ったり座ったりしたいし、背筋を伸ばしたいし、身のまわりの本なんかも折に触れてぱらぱら見たい。だから、誰かに見られていると、どうしても集中できない。文章も、書いて消して書いて消してのループをひとに見られていると、書けない。ちょっと恥ずかしい。このあたりの苦手の話と、「完成させるまでひとに見せたくない」の背景にある苦手の話って、関係あるのかな~、って考えていた。突き詰めると同じようなところに根っこがある気もしたし、実はぜんぜん異なる話なんじゃないの?という印象もあった。うまく整理できなかった。部品は共通しているけど、機構はかなり違う、くらいの距離感だと、見極めが難しい。何事もラインを見極めてぜんぶわかって暮らしている人なんていなそうではあるけれど。