キーになる言葉
「夢に優劣なんてありませんよ」という台詞を(「宙わたる教室」というテレビドラマで)聞いて、よいことばだな、って思った。大志ある若者の輝くような夢と、凡俗でくすんだ自分の夢を見比べて、晴れ晴れしくて愛おしく見える若者の夢をかならずしも称えなくたってよい。自分の夢のほうが価値がないと、引っこめて、若者の夢を優先する必要もない。わかりやすく輝く夢を応援しよう、みたいな選択肢が常に正しいわけでもない。
いつだってそれくらいのことは思っていたいし、当たり前の話だと感じるくらいには幾度も耳にしたことのある台詞回しだと思うのだけど、しかし、気づけば、世界観からすっぽり抜け落ちている。自分の夢を、自分のことを、大切にしよう、なんて、言われるまでもなく肝心なことなのに、そんなことすら忘れる。世界平和や自分平和につながる言葉さえ消し去っている。自分を幸せにする言葉だろうとインストールし続けていられるわけではない。しばらく使ってなかったスマホアプリがいつの間にか非インストール状態になっているみたいなノリで、ガワだけ残し、中身は空っぽになっていたりするから、気をつけたい。そういう意味では、「座右の銘」と称して、世界観のキーになりそうな観念をひとつの言い回しに乗せて記憶させておくのはよい手なのかもしれないな、とも思った。
日付付き
日付付きの文章がやっぱり書きやすいな。単独、あるいは断続的なつぶやきは向いてない。「まとめたい」のかな。「一定量はほしい」なのかもしれない。あるいは、「一日という区切りが好き」なんじゃないかな~。期間を区切る言葉はたしかに好きそう。一ヶ月も、一年も、好きっちゃ好きという感じはある。あと、一人生みたいな、生きるから死ぬまでみたいなところを示す単位もあったらよいのに、と思ったが、一生、があった。でも、二生、三生と言えるかはあやしいから、単位とは言いがたい気もする。
週記、月記、年記、みたいな言葉も、ちゃんと存在するならたぶん好きだが、いまのところ、それほど馴染みもない。使われていない印象。ふだん、「日記」という言葉に対し、好きだと言っていることが多いのだけど、「週記」ないし「月記」が一般用語として存在していたら、そっちのほうがより好きだったかもしれない。「週記」は(実務的には今でもいくらでもできるけど、そういった言葉が普通に膾炙していたときの、人類の群がり等を想像して)なかなか素敵そう、とは思う。