世界は称賛に値する

日記を書きます

2025年05月04日(日)どれくらい「兵は拙速を尊ぶ」か

少しだけ立ち止まる

几帳面に、とはいえ気分的にはやや漫然と、100個以上はあるだろうと思われる問題点を、一ヶ月間、ひたすらに並べあげてみせるよりは、パッと目についた2.3個の問題を解決すべく、さっさと動き始めたほうが、なんだかんだよい、といったケースがほとんどなのだとは思っている。断言はできないにせよ、長時間かけて100個ピックアップするほうが優れているシチュエーションは、おそらく例外的だと感じる。

そして、それよりも、まず10分間ほどの時間を費やして、ぱぱぱぱと精査し、ある程度、精査したうえで、動き始めるのがよいんだろう、とも思っている。そこの10分間が、一時間、一日になるケースもあるにはあるが、それは、問題の規模によって精査に適した時間が変わってくるというだけの話であって、「ほどほどの時間、取捨選択した」と感じられているなら、きっとそれでよい。とにかく、一歩だけ、立ち止まって、考える習慣があったほうがよいんだと思う。「一歩」が大事。ここに時間をかけすぎたら元の木阿弥だ。悠長よりは拙速が尊ばれるが、しかし、拙速よりも、わずかな時間でよいから精査して動き出す、のほうが(たいていは)より適切な行動に導いてくれる、っていう理解である。几帳面な網羅するのでもなく、手の届く範囲だ ぱっと見「失敗」に見えても、ときにそれは"よい経験"に転化してくれて、サイクルを回すなか、プラス要素として働き始めてくれたりもする。そういった観点で、「悠長」が疎まれ、否定される構図は、だいぶわかりやすい。サイクルを素早く回すことで、失敗すら活かしうるなら、成果の質を高めうるなら、失敗すらしない「悠長」が好まれるはずもない。もちろん致命的なダメージに至るようでは困るので、そこは避けるしかなく、その最終ラインの見極めが要されるところはあるけれど。そしてまあ、「悠長」と「慎重」の加減をそんなにうまく扱えるのか、よくわからないところもあるけれど。だからといって、拙速ばかり尊んでもいられないので、とりあえず、「一度立ち止まって精査する」かどうかに、一つの基準を設けたいな、とは思うのだった。