同じ話
結局それほど多彩なことは考えられない。自然体で暮らしていたら、同じ物事の同じ側面ばかり目につくし、試行錯誤するにしても、同じところばかりぐるぐるしてしまう。まあ「同じところをぐるぐるしている」ように見えても、実際は、螺旋構造になっていて、漸進してはいるのだ、といった前向きな解釈も見かけるわけだけど、ほんとうにそんなもんかどうかもわからない。ただそう信じたいだけかもしれない。それに、たしかに前に進んでいたとして、一生涯かけて進んでいったところで、どこまで到達できたものかもわからないし。だがその蓄積が人類を「前」に進めてきたのだ、っていう、これまた前向きな解釈もあると思うけど、これも、なんとなく、理想論というか夢物語の可能性が、なくもない。そんなにぜんぶをぜんぶ「後ろ向き」に捉えていったところでそれはそれで意味ない気もするけれど。
同じネタが何度も頭のなかに巡り来る。それも書いちゃえばいいじゃん、それが許されるのが「日記」という場じゃん、と考えてはいる。日記が好きな理由のひとつだ。が、それでもときどきためらいは覚える。重複も停滞も恥ずかしくなってくる。うーん、けれど、たとえ同じネタであろうと、そうやって幾度も層を重ねていくことで、話に厚みが生まれ、説得力や信頼性が増していくのだ、っていう考えかただってあると思う。熟成だってしていくだろう。だから下手に遠慮しないほうがよいんじゃないの、とは思った。という、「同じネタだって何度でも書いちゃいましょう」という話も、何度も書いているが。